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2015.01.17

阪神・淡路大震災から20年

 阪神淡路大震災のときに、御津小学校(母校)に勤めていました。
 地震があった朝、揺れで目が覚めました。たつの市は神戸から約70km西にあり、それほど強い揺れではありませんでした。テレビをつけてみましたが、大きなニュースにもなっていなかったので、まさか阪神・淡路が大災害に見舞われていたとは思ってもいませんでした。
 いつものように、学校へ行って職員室のテレビをつけてみると、神戸が映っていて被害があったことが伝えられましたが、被害者数は数人でした。それが、時間の経過と共に100人になり200人になり1000人になりと、どんどん
被害状況が大きくなっていって驚いたことを鮮明に覚えています。
 友だちの勤めている神戸の学校へ妻と一緒にボランティアに行きました。朝早くに出発し、JRで神戸に向かいました。明石あたりになると、家の屋根にビニールシートをかぶせているのが見えました。東に行くほど、少しずつ被害がひどくなっていくのがわかりました。長田近くになったときに一面焼け野原で、それまでしゃべり声があった電車内がシーンとなり、空気が凍りついたことは今でも忘れられません。
 JRは、途中から運転されていなかったので、長田区の手前からバスで移動することになっていました、長蛇の列でなかなか乗ることができませんでした。やっと乗ることができても大渋滞でものすごく時間がかかりました。普段であれば、1時間半ぐらいで着く東灘区まで、6時間ぐらいかかったのではないかと思います。
 学校について、被害のひどさに驚くとともに、自分のできることを見つけて必死に動きました。学校で継続的にボランティア活動されている方々が、献身的に活動されていたのが印象的でした。
 仕事の関係で、1日しかボランティア活動ができませんでしたが、神戸から帰ってきた後、今日見たことは、絶対に子どもたちに伝えなくていかなくてはならないと強く思いました。
 あれから、20年、神戸で仕事をしていますが、大震災を意識することが少なくなりました。しかし、ふとしたことから必ず思い出し、後世に伝えていかなければならないという思いは今も変わっていません。
 これからも、阪神・淡路大震災のことは、きちんと子どもたちに伝えていきたいと思います。

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